1 問題の所在
応用美術(注1)については,意匠権等との関係で,美術の著作物(著作権法2条1項1号,同条2項)として保護されるかどうかが問題となります(注2)。量産品については,産業財産権による保護の対象となる以上,これらの棲み分けが問題となるからです。
この点,知財高裁平成27年4月14日判決(TRIPP TRAPP控訴審事件)以降の裁判例では,以下の点について,判断が統一されていないことが指摘されています(注3)。
①実用的な機能を離れて美的鑑賞の対象となり得る美的特性を備えていることを要するかどうか(分離可能性)
②創作性の判断基準として,高度の創作性を求めるかどうか(制限説・非制限説)
以下,上記の2つの視点から,近時の裁判例を概観します(注4)。
2 近時の裁判例について
⑴分離可能性について
TRIPP TRAPP控訴審は,「特に,実用品自体が応用美術である場合,当該表現物につき,実用的な機能に係る部分とそれ以外の部分とを分けることは,相当に困難を伴うことが多いものと解されるところ,上記両部分を区別できないものについては,常に著作物性を認めないと考えることは,実用品自体が応用美術であるものの大半について著作物性を否定することにつながる可能性があり,相当とはいえない。」と判示して,知財高裁平成26年8月28日判決が示した,実用目的に必要な機能に係る構成と分離して創作性を判断する手法に対して否定的な見方を示しました。ただし,同控訴審は,その具体的判断において,控訴人製品の形態的特徴のうち作成者の個性が発揮された部分を切り出して認定した上で,著作物性を肯定している点に注意が必要です。
その後の裁判例では,実用目的を達成するために必要な機能に係る構成と分離して,美的鑑賞の対象となり得る美的特性である創作的表現を備えている部分について,創作性を判断したものがあります(知財高裁令和3年12月8日判決)。他方で,標章について著作物性が認められるためには,「それ自体が独立して美術鑑賞の対象となる創作性を備えているような特段の事情」が必要と判示して,実用目的に必要な機能に係る構成と観念的に分離された,表現の選択の幅における創作性を判断したと解されるものもあります(注5)。上記の判断手法の相違は,後者において,実用目的に必要な機能に係る構成とそれ以外の部分との分離が困難であることに起因するものと考えられます。
⑵制限説・非制限説について
TRIPP TRAPP控訴審は,「応用美術には様々なものがあり,表現態様も多様であるから,明文の規定なく,応用美術に一律に適用すべきものとして,『美的』という観点からの高い創作性の判断基準を設定することは,相当とはいえない。」,「応用美術につき,意匠法によって保護され得ることを根拠として,著作物としての認定を格別厳格にすべき合理的理由は,見出し難いというべきである。」と判示して,非制限説に立ちました。
その後の裁判例では,制限説に立つと思われるものもありますが(注6),非制限説に立つものもあります(注7)。それゆえ,創作性の程度については,裁判例の統一的な基準を見出すのは困難です。ただし,仮に,非制限説に立って著作権法で保護の対象となる美術の著作物一般に該当するかどうかを判断したとしても,創作性が否定される場合も多いと考えられることから,実際上,両説の差はそれほど大きくないように思われます。
注1)著作権法上の定義規定はありませんが,一般に,美的な要素を備えた実用品などと定義されます(中山信弘著「著作権法第3版」193頁)。
注2)商標権との関係が問題となった事例として,知財高裁令和3年12月24日判決参照。
注3)前掲中山216,218頁,小倉秀夫=金井重彦編著「著作権法コンメンタールⅠ第2版」208頁,高林龍著「標準著作権法第4版」49頁参照。
注4)別紙参照。
注5)知財高裁令和3年12月24日判決解説・判例タイムズ1500号234頁参照。さらに,大阪地裁平成27年9月24日判決参照。
注6)前掲小倉=金井208頁は,知財高裁平成28年10月13日判決につき,「応用美術以外の一般の著作物性の判断では『個性の表れ』があるか否かで判断されるものである以上,同裁判例は一定の創作性を加重したように思われる。」と評しています。
注7)知財高裁令和3年12月24日判決参照。なお,同判決解説・判例タイムズ1500号233頁は,知財高裁平成27年12月17日判決が,「創作性につき純粋美術と同視し得る程度のものでなければならないとするものであるが,応用美術に限り創作性の要件を加重する趣旨をいうものであれば,本判決と立場を異にするものといえようが,ありふれた表現にすぎないなどという表現ぶりを当てはめにおいて採用していることに照らすと,著作権法で保護の対象となる美術の著作物一般に該当するかどうかを判断する趣旨をいうにとどまると解することも十分可能であって,このような場合には,本判決と基本的には同様の立場を採用するものといえよう。」と論じています。